文禄3(1594)年に、太閤豊臣秀吉が毛利輝元らに命じて造らせた、全長27kmにも及ぶ淀川の堤防。
文禄3(1594)年、太閤豊臣秀吉は『淀川の治水』と『京阪間の街道整備』を目的に、毛利輝元・吉川広家・小早川隆景に命じて、大阪府枚方市から大阪市長柄までの約27kmを2年がかりで築かせた。河内平野に淀川の水が氾濫する事を防いだ。また、堤防上には、京阪間を最短で結ぶ京街道が整備されて大いに役立った。
明治後期に始まった、新淀川掘削工事において流路が大きく変更されたため、文禄堤は御役御免となった。このため、27kmもあった文禄堤も、現在では京阪守口市駅前に1kmほど残存しているのみである。