連絡船が、一番大事な 交通機関だった。 今から40年ほど前までは、「大浦、久津港」から対岸の粟野まで、油谷湾を縦断する航路で「渡海船(とかいせん)」が運行されていました(とかいせんとは向津具での連絡船の呼び方)。向津具半島西部の人々には、山陰本線の最寄り駅まで行くのに、「渡海船」が一番便利な乗り物でした。地図で見る通り、久津から人丸駅まで路線バスで行くと、片道16km、約1時間かかりました。(黄色い線が県道)これに対して、旅客船で行くと、「大浦、久津」を経由しても対岸の「粟野港」(赤い線が航路)まで片道5kmあまり、40分で行き着きました 油谷町史(旧油谷町発行)掲載の地図に加筆しました。 貴…