旭川市内とその周辺地域で路線バス事業を行っており、旭川市街〜旭川医科大学、旭山動物園、旭岳温泉間などに路線を持つ。この他に旭川市街〜旭川空港間の連絡バスも運行している(旭川空港発着のすべての便(日本航空、エア・ドゥ、全日空、春秋航空の各便)に接続している)。さらに2007年2月から旭川空港〜旭山動物園間の直行バスの運行も開始。
かつては日本最北端の路面電車事業者として、宗谷本線の旭川四条を起点に東川町(1927年から)及び、旭山(旭川市郊外、1929〜1930年から)*1を結んで路面電車を運転していた(国鉄と接続して貨物輸送も行っていた)が、当時の会社の合理化方針や、貨物輸送のために接続していた宗谷本線・旭川四条駅付近の高架化、従来から行われてきた貨車による貨物輸送*2からトラック輸送への転換に目処が立ったことから、1972年の大晦日をもって廃止・バス転換され、日本最北端の路面電車の座を札幌市電に譲り渡すこととなった*3。なお、廃止時点の駅についてはバス転換後もいくつかは同名のバス停留所として近年まで長らく名称が残されていたが、徐々に改称が進められている。「旭川電気軌道」の社名もかつて路面電車を運営していた名残で廃線から約40年以上経った現在もなお堅持しており、社章も「旭」の字をレールを模した円で囲んだものが使われている。
もともとバス事業自体はすでに1933年から開始。途中、戦時統合により路線を道北乗合自動車(現在の道北バス)に譲渡するも、1952年に同社から一部路線の譲受を受けてバス事業を再開していた。なお、この路線譲渡と同じ年に、道北乗合自動車から分離の上で沿岸バス・宗谷バスが、また1955年には名士バスも誕生している。
1968年、同じく旭川市内にバス路線を持っていた「旭川バス」を吸収合併。路線網を拡大した。
ちなみに、旭川バスの前身は、旭川電気軌道と同じく旭川市内に路面電車を運転していた「旭川市街軌道」*4。「旭川市街軌道」は1929年に初の路線を開業、戦前に、旭川電気軌道の実質的な起点・旭川四条駅をはさむ形で宗谷本線より市街地側を中心に路線の整備を行っていったが、戦後になってバス路線の方を重視するようになり、1956年をもって全線廃止・バス転換されている。
1991年4月に、全国に先駆けてクレジットカードによる運賃支払いシステムを開始した(ちなみに、JR東日本で磁気式イオカードの使用が開始されたのはこの年の3月である)。
ただ、このシステムは地元の信販会社(日専連旭川)のクレジットカード(または、このクレジットカードの所持者やその家族に対して発行されるバス専用の「シャトルカード(ICカードでも磁気カードでもない)」と呼ばれているカード)をバスの乗車時と降車時にそれぞれカードリーダーに通す、極めて珍しいシステムとなっている。旭川電気軌道(旧・あさでんを含む)のバス*5に使用可能。また、回数券・定期券としての利用も可能となっている。
決済は「Suica」や「ICOCA」などと違い、月締め後払いで、前述の信販会社から請求される。後払い決済の考え方は恐らく現在の「PiTaPa」などに通じるものがあると考えられるが、カードの使用方法などはそれとは全く異なる。
なお、2012年3月をもってクレジットカードによる上記の運賃支払いシステムを終了し、2012年11月より非接触式ICカード「Asaka CARD」による決済方式に転換することになった。非接触式ICカードは、旭川市内を中心に路線の一部が競合する道北バスでは1999年から「DoCard」として導入されており、2015年2月から「Asaka CARD」と「DoCard」の相互利用が可能となった。
地方のバス会社としては珍しくノンステップバスを積極的に導入している。旭川電気軌道は、平成23年3月末現在でノンステップバス導入率が46.29%に上り、北海道内のバス事業者ではトップの導入率を誇る。
営業車輌の一部に、過去に神奈川中央交通(神奈中)から譲渡を受けたものがある。神奈中からの車輌譲受は100台以上に及び、営業車の冷房化率向上に大きく貢献した(現在では営業車については100%冷房化達成済み)。譲受車の降車案内ボタンには、まれに「カードをお求めください」とメッセージが書かれているものがあるが、旭川電気軌道ではバス車内や営業所などで購入可能なプリペイドカードは現在、一切発売していない。
1983年に、富良野地区の路線を旭川電気軌道と富良野市の共同出資による第三セクター「ふらのバス」として分離。現在では富良野〜旭川空港〜旭川市街への直通バスも運行している。
1999年、旭川市内のバス路線の一部(主に、ほぼ旧「旭川バス(旭川市街軌道)」のエリアに相当している)を新たに「あさでん」として分社化・移管した*6が、2007年7月1日をもって再び旭川電気軌道に統合している。