昔の権力者は、地位が安定してくるとやたらに、 お寺とか、お墓とかを建てる習慣があったらしい。 人力では及びのつかない、神仏の加護を借りて、 権力の座にいつまでも とどまることを願うという心理にもとづくものである。 鳥羽院もかねがね三十三間の御堂《みどう》を建てたがっていた。 これが忠盛の尽力で完成したときは、 大へんな喜びようだったといわれる。 そのとき備前守《びぜんのかみ》だった忠盛は、 但馬国《たじまのくに》の国司に任ぜられ、 その上、あんなに待ち望んでいた昇殿を始めて許された。 時に忠盛は、三十六歳の男盛り、 その感激は又ひとしおであった。 ところが、ここに意外なところから、反対運動がも…
どうも、ひのきですm(*_ _)m やってまいりました、寒川神社!! 結構前からいつかご挨拶したいと思っていた神社のひとつですが御縁あって参拝することが出来ました(*^^*) 海老名で乗り換え、相鉄と間違えそうになりつつJR相模線に、むかーし乗った事があるのですが乗降ボタンが導入されているのが懐かしくて(*´ω`*) 東北北陸の在来線では当たり前ですが関東では八高線と相模線くらいかな? 東海地区や関西でも路線によってはあるようです まぁ通勤圏だと乗降者が多すぎてアレかもしれませんが、もうね、この手動ボタンは全車に付けてもいいじゃないかって思いますよね、冬は寒くないし夏も冷気が逃げないしエコです…
ご案内 R060524義烈空挺隊慰霊・顕彰 靖國神社昇殿参拝並びに講演「沖縄戦を戦った落下傘部隊の精鋭たち」佐波優子
松薗斉さんの「『京都の中世史➀摂関政治から院政へ』を読む」(季刊「古代文化」3月号)を読みました。吉川弘文館から出た叢書『京都の中世史』第1巻(編集代表元木泰雄)の書評ですが、通史としての立脚点、企画構成そのものから論じています。私は本書を読んでいない(気にはなっていたが、この版元が手を変え品を変え、矢継ぎ早に出す通史を購入、読了するのに疲れた)のですが、書評の内容には納得しました。 約半世紀前に出た叢書『京都の歴史』(学芸書林)と対比しながら論じるのも、書評としてはユニークだが成功していると思います。本書は叢書名にふさわしく、都市としての京都、の構造的変化ー京・白河という新たな市域の形成を以…
勝川春亭「頼光朝臣酒呑童子オ退治之図」 先月末、京都府福知山市にある大江山へ鬼退治へ出かけてきました。 当日の天気予報は朝方まで曇り、午前の半ば過ぎくらいから曇りになる...だったのですが、朝から降り続けていた雨は止む気配はおろかどんどん強まり、有名な鬼嶽稲荷神社に到着するころには暴風&雪に見舞われる始末。 雲海が見られることで知られる当神社前の絶景スポットでは霧&もやで何も見えず(というか強風にあおられて立ってられなかった)、もう少し先に進めば大江山の主峰、仙丈ヶ岳まで(&酒呑童子が住んでいたと言われる「鬼の洞窟」も)行くことができたのですが、「さすがにこれ以上はちょっとマズい」と判断して志…
ところで、成親と、動機こそ違え、志を同じくする者は、 まだ幾人かあった。 彼らがいつも好んで寄り集りの場所にしたのは、鹿ヶ谷にある、 これも同志の一人 俊寛《しゅんかん》の山荘である。 ここは、東山のふもとにあり、 後は三井寺に続いた、要害堅固なところで、 こういった陰謀を企むには、まさにもってこいの場所だったのである。 ある晩、後白河院が、お忍びでここにお出でになり、 話がいつか、平家に対する不満から次第に、 平家を葬る具体的な話になりそうになってきた。 後白河院のお供で席に連っていた浄憲法印《じょうけんほういん》は 思慮深い男であったから、 「まだこの種の話し合いはすべきではない。 それに…
Visited Yasukuni shrine area to pay respects to all missed in the past war. 昨年に引き続き、桐生遺族会の皆さまとご一緒に千鳥ヶ淵戦没者墓苑の参拝と、靖国神社への昇殿をして参りました。戦後79年目を迎えるサクラ満開の春。わたし達の街、桐生から出征をされた3,100余柱の先人達にも想いを馳せながらの合掌。平和を願う桐生の (ミニ) 織づると共に。
社殿祈祷と呼称する、東伏見稲荷神社さまの昇殿参拝祈願。 一般的に言うところのご祈祷なのですが、ご利益が高い半面、サヨコさん言うに、固定客のみの少数しかご祈祷を願い出ないとのことから、東京湾戦災者大供養という命がけなクエストを成就させるため、このサポートと成就を東伏見さまに祈願することにしました。 その昔に、龍神さまがその人格を見初め、自らの世話をさせるために側においたことから、終戦直後に成田山の大阿闍梨でも供養できなかった方を、10年ほど前に偶然から成仏してもらうお手伝いをしたことはある初老ですが、数千人にものぼりそうな東京湾内に流れ出た戦没者の方々の供養を行うことは困難なため、あらゆる方策で…
盛岡八幡宮・拝殿 盛岡八幡宮について 盛岡八幡宮・拝殿正面 盛岡八幡宮・拝殿内部 盛岡八幡宮境内の案内 盛岡八幡宮の御利益 お宮の一生もち お守りとご朱印の郵送について <アクセス・GoogleMap> 盛岡八幡宮について 盛岡八幡宮は今から300 年以上昔の延宝8年(1680)、第29代南部重信公により建立されました。盛岡八幡宮に祀られている神は、品陀和気命(第15代応神天皇)で、農業、工業、商業、学問、衣食住など人間生活の根源の神として、昔から地域の人々の多大なる崇敬を集めてきました。 明治17年(1884)の盛岡大火などの災害や永年の風雪被害を受けて社殿は再建がくり返され、現在の社殿は平…
土曜日日曜日とバタバタしていました。 まずは土曜日、朝10時30分の夫さんゴルフ練習前にトイレ掃除と洗濯を終えてわたしはシャワーをあびてから10時には出発! 夫さん、ゴルフ練習の間に、墓花を買ってから本家に。天気が良くぽかぽか陽気だったので、母屋、離れ共に雨戸も戸も開けておき、掃除をば💦 携帯を持ってくるのを忘れたのと、母屋にいるとどこにも時計がないので離れに戻ったときに確認しつつも、母屋離れの戸締りしていたら少しお迎え遅れてしまう。再び夫さんをピックして、まずはお昼ご飯!今回は、スシローとは違う回転寿司のお店に行ったら、長次郎よりは少し落ちるけどスシローよりはかなりよい!というお店で正解でし…
戦場で鍛え上げた忠盛の目は、宮中のうす暗いところで、 かすかに人の気配のするのを敏感に感じ取った。 彼はやおら、刀を抜き放つと、 びゅん、びゅんと振り廻《まわ》したからたまらない。 大体が、臆病者揃いの公卿たちは、 闇夜《やみよ》にひらめく一閃《いっせん》のすさまじさに、 かえって生きた心地もなく、呆然と見ていただけだった。 主人が大胆な男だから、家来の方もまた粒よりだ。 左兵衛尉平家貞《さひょうえのじょうたいらのいえさだ》という男は、 狩衣《かりぎぬ》の下にご丁寧にも鎧《よろい》までつけて、 宮中の奥庭に、でんと御輿《みこし》を据えて動かない。 蔵人頭《くらんどのとう》の者が、 目ざわりだか…
祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》の鐘の声、 諸行無常の響《ひびき》あり。 娑羅双樹《しゃらそうじゅ》の花の色、 盛者《しょうじゃ》必衰の理《ことわり》をあらわす。 おごれる人も久しからず、唯、春の夜の夢のごとし。 猛《たけ》きものもついにはほろびぬ、 偏《ひとえ》に風の前の塵《ちり》に同じ。 二十余年の長きにわたって、その権勢をほしいままにし、 「平家に非《あら》ざるは人に非ず」 とまで豪語した平氏も元はといえば、微力な一地方の豪族に過ぎなかった。 その系譜をたずねると、 先ず遠くさかのぼって桓武天皇の第五皇子、 一品式部卿葛原親王《いっぽんしきぶきょうかずらはらのしんのう》 という人物が、その先…
昨年 鞍馬寺からの貴船神社へ 今年は 辰年ということもあり 龍神様に関する場所へ🐉 まずは 瀧尾神社 〒605-0981 京都府京都市東山区本町11丁目 辰年「木彫り龍」の特別拝観(昇殿参拝) 令和6年5月31日まで 午前9時から12時 午後1時から午後4時まで 特別拝観(昇殿参拝)拝観料500円 京都 龍 で調べると良く出てくる神社ですが タクシーの運転手さんに 「瀧尾神社までお願いします」 と伝えると 「どこですか?聞いたこと無いなぁ~」と…?? 住所を伝え いざ出発! 京都は沢山の大きな有名神社仏閣があるためか あまり知られていないようです いろいろな所に 鳥 鳳凰 麒麟 龍 等の 彫刻…
今村宮の次は宗忠神社です。教派神道の神社へのお詣りは初めてだったのでどんな所だろうと興味津々でお詣りしました。 #別の白髭宮だったようで一部削除しましたm(__)m 目次 【御祭神】 【御由緒】 【宗忠神社への道】 【👨🦽車椅子使用の方のための情報】 【境内の様子】 【おまいりをおえて】 【御祭神】 宗忠大神(黒住教教祖黒住宗忠) 【御由緒】 大元 宗忠神社|岡山市大元にある古木に包まれた神社 興味のある方は↑の公式サイトをどうぞ。 【宗忠神社への道】 岡山県道21号沿いにあります。国道2号岡山バイパスから降りて米倉交差点を北へ向けて曲がり、道なりに約2キロ北上した左側です。西から国道162…