北京市豊台区盧溝橋 昭和12年(1937) 7月4日、「姪光代没す。」次弟鷲津貞二郎の娘で、荷風は子供のころからかわいがっていた。 7月5日、「水天宮の賽日にてにぎやかなり。裏門外道路の上に癩病の乞食数人座するを見る。日本固有の生活状態なればひそかに携帯のカメラに収む。」 「北平付近にて日支両国の兵砲火を交ゆ。」 満州の関東軍とならび、義和団の戦後処理として天津には天津軍が駐留しつづけていた。それが華北の緊張の高まりとともに1936年5月に倍増され、北平(北京)からわずか4kmの豊台に駐屯したことで同年6月9月に日中軍の小競り合いが生じた。1937年7月に入ると天津北京で何か起きると噂が立った…