親が亡くなると「もっとこうしてあげればよかった」と 思うことがあるらしい。 個人的に、その「もっと」はもうキリが無いと思う。 相手が満足したかどうかは当の本人になってみないと 本音は分からないから。 例え最期に「ありがとう」と言われても まだできることがあったんじゃないか と考えることもあるだろう。 言葉がないと答え合わせができていない気になってしまう。 言葉があっても本音は別だったんじゃないかと疑う。 言葉がコミュニケーションを退化させている部分もあるんじゃないか。 それに自分以外の相手に100%満足してもらおうとすることは 生物的に不自然であり不毛な気もする。 「後悔無く生きてほしい」の同…