松田直樹

(スポーツ)
まつだなおき

元コーエイ工業小田原ジム所属*1のプロボクサー。
A級ボクサー四回戦トーナメントB-Tight!'06スーパーバンタム級優勝。
2002年以来長らく中堅選手に甘んじていたが(12連勝にもかかわらず当時日本8位だった)、2007年3月31日、敵地メキシコのカンクンで前世界チャンピオンのルディ・ロペス(※当時WBC3位)を番狂わせの5回KOで破り一躍注目を浴び、その後日本&OPBFフェザー級王座を獲得。

 *リスト::ボクサー

*1:2007年から帝拳ジムに移籍

松田直樹

(スポーツ)
まつだなおき

サッカー選手。ポジションはディフェンダー(主にセンターバック)。
1977年3月14日生まれ。群馬県桐生市出身。身長183cm、体重78kg。血液型A型。


年代別の日本代表として1993年FIFA U-17世界選手権、1995年FIFAワールドユース選手権、1996年アトランタオリンピック、2000年シドニーオリンピックに出場。アトランタ五輪では 前園真聖、中田英寿らとともに「マイアミの奇跡」の立役者となった。サッカー日本代表(A代表)には2000年にデビュー。2000年AFCアジアカップ(優勝)、2002年FIFAワールドカップ(ベスト16)、2004年AFCアジアカップ(優勝)に出場した。フィリップ・トルシエ監督時代にはフラット3と呼ばれるディフェンスラインの右を担った。
Jリーグでは、横浜F・マリノスで不動のセンターバックとして長年に渡って活躍、チームキャプテンも務め、3度のリーグ優勝に貢献した。晩年は右膝の怪我に悩まされた。16年に渡ってマリノス一筋でプレーし、「ミスターマリノス」と呼ばれたが、戦力外通告を受け、2010年シーズンを最後にマリノスを退団した。2011年、当時日本フットボールリーグ(JFL)の松本山雅FCに入団した。
2011年8月2日、長野県松本市のグラウンドで練習中に急性心筋梗塞で倒れ、心肺停止状態で搬送された。
2011年8月4日、搬送先の病院で死亡、享年34。横浜F・マリノス時代に着用していた背番号3は、J1史上初となる永久欠番となった。

所属クラブ

1992-1994
前橋育英高等学校
1995-2010
横浜マリノス(1999年より横浜F・マリノス)
2011
松本山雅FC

個人タイトル

  • 2000 Jリーグ ベストイレブン
  • 2002 Jリーグ ベストイレブン
  • 2011 Jリーグ功労選手賞
  • 2013 Jクロニクルベスト ベストイレブン

書籍

闘争人―松田直樹物語 (SAN-EI MOOK)

闘争人―松田直樹物語 (SAN-EI MOOK)

リスト::サッカー選手
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