イザナギノミコトは黄泉国(よもつくに)を脱して、『古事記』によると「竺紫日向之橘小門之阿波岐原(つくしのひむかのたちばなのおどのあはきがはら)」へといたる。『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記される。そして、身をすすぎ清め、その際には多くの神々が生まれた。 この「阿波岐原」「檍原」の地が、鹿児島県曽於市の南之郷(みなみのごう)にあったと伝わる。そして、伝承地があちこちにあるのだ。 イザナギノミコトが穢れをすすいだとされる「中津瀬(なかつせ)」をはじめ、「上津瀬(うわつせ)」「下津瀬(しもつせ)」「橘嶽(たちばなだけ)」「小戸池(おどのいけ)」「柄基(つかもと)」「高天原(たかまがはら)…