宝永7年10月15日。御さし(乳母)御抱(雇用)の廻文がある。小頭の添状には18日昼までに、玄右衛門のところへ有無を報告するようにと云々。この夜、広井あたりで誰が言い出したか丑(午前1時)頃大地震があると。用心しろと言い出して、程度の差こそあれ、隣から隣へと伝わって正万寺町・御園・伏見丁と伝馬町から南ばかりで大騒ぎとなり、眠ることもできなかったと云々。