国家のリーダーとしての孤独を、菅はこう語った。「あの一週間は、すぐ隣の公邸にも帰らずに、夜も総理執務室の奥の応接室のソファに、防災服のまま毛布をかぶって寝ていました。一人になった時は、こう頭に浮かぶわけですよ。日本はどうなるかな、と。まさに背筋が寒いですよ。チェルノブイリは、結局、軍隊を出して、それで、みんなにセメントを持たせて、放り込んで石棺をつくるわけですよ。それで、相当の人が亡くなっている。軍隊を投入して、相当の犠牲者を出して抑え込んだわけですよね。そういうことは、私も知ってますから、どこまでいくんだ、あそこから逃げたらどうなるんだと、ずっと考えていましたよ」 もし、そういう事態になった…