1 京都守護職による過激派浪士対策 幕府召募の浪士組が、将軍家茂上洛の先駆けとして、鵜殿鳩翁に率いられて京都に入ったのは文久3年(1863)2月23日であった。浪士組入京当時の京都市中は、長州や土佐を中心とする尊攘過激派浪士たちの跳梁する、尊攘一色の殺伐たる巷で、過激派浪士たちは競って公家の門に出入りし、時事を横議して急進的な攘夷論を揚言、「浪士一夕ノ談或ハ漂然天下ノ勅トナルアリ」(『鞅掌記』・括弧内は以後も筆者の注記)というありさまであった。 京都守護職松平容保の旧臣北原雅長は、その当時の京都市中の様子を、その著『七年史』のなかに、「京師の状たるや、殺伐風を成して切害にあふもの空日なきが如く…