岡田三郎助の留学当時、パリの街は未だ城壁に囲われていた。 若き洋画家の繊細なる魂に、花の都は文字通り、城郭都市の重厚さで以って臨んだ。 (Wikipediaより、ティエールの城壁) きっとヨーロッパ随一の「芸術の街」で修行中、この異邦人を見舞った刺戟は、むろんのこと望ましい、良性なものばかりではない。 神経を鉋で削られて、その上に塩を撒かれるような、不快な思いも随分とした。 わけてもいちばん辛かったのが「声かけ」である。 たまたま街を歩いていると、これまで会ったこともない、顔も名前もぜんぜん知らぬただの通りすがりから、すれ違いざま 「支那人!」 と、侮蔑を籠めて吐き捨てられる。 これが効くのだ…