洋画家 (1893年2月14日-1991年2月5日) 東京・本郷出身。 独学で絵を学んだのち、岸田劉生(麗子像で有名な画家)と交わる一方、白樺派の文人・武者小路実篤や志賀直哉と交流を深めるようになる。自由闊達で豪快な絵画で多くのファンを獲得。60代になると、神奈川・真鶴に移り住み、アトリエを構えた。書や随筆にも定評がある。 妻の弟は演出家で舞台人の千田是也。
展覧会に向けてお面の整理と補修をしている。ますのすし仮面の補修をした。富山名物ますのすしの箱でお面を作っている。ますのイラストは中川一政なのだとか。箱に書いてあった。今日気がついた。
人の人生には
気温摂氏▲6.0/8.7度。快晴。昨日が「十年に一度の寒さ」の極みかと思つてゐたらさにあらず。今朝のこの冷え込みには恐れ入り谷の鬼子母神。昼間は西南からの風で少し暖かく感じたが日陰の氷雪は溶けることもない。 野村胡堂から川柳で〈柳樽〉を眺めるつもりが時実新子編『日本の名随筆(別巻53)川柳』を通読。胡堂先生から始まる川柳にかゝはる名随筆で胡堂先生の次の佐藤愛子が圧巻。父の思ひ出でから加賀千代について。千代といへば「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」だとか「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」とかアタシでも知つてゐるが佐藤愛子の筆にかゝるとまぁ抒情的な世界が広がる。佐藤愛子といふとアタシの最初のこの方の…
下津井の町の真ん中に、海に突き出た小山がある。標高約22メートルの浄山である。 この浄山の上に鎮座するのが、祇園神社である。 浄山 一の鳥居 文政十三年(1830年)の銘あり この浄山には、かつて長浜城という城があったという。 室町時代に、長浜城の鎮守として長浜宮が創建され、祭神は長浜大明神と称された。 江戸時代後半に、長浜宮は素戔嗚尊を祀る祇園宮と合祀され、祇園神社と称するようになった。 境内への石段 私が祇園神社を訪れた時は、丁度アジア系の外国人観光客の一団が参拝していた。 この神社の境内からは、西方の海景がよく見える。海の眺めがいい場所に、木製のベンチがある。外国人観光客は、ベンチに腰を…
あけましておめでとうございます。 今年も昨年同様、気の向いた時にブログを書きます。 よろしくお願いします。 さて先日の話。 野見山曉治という画家の展覧会に行った。この人は私と同郷の人で、炭鉱経営者の子であったという。だから初期の作品には炭鉱を描いたものがある。炭鉱夫の苦労をまざまざと描いた絵も観た。 私の家系も炭鉱である。父方は会社の方、母方は炭鉱夫の方。母方の祖父は寡黙な人で、炭鉱の辛い話を一度も聞いたことがない。 母の話では、北陸の方から九州へ流れてきたらしい。無学であったが、命を削りながら炭鉱で働き、多くのお金をもらい、若くして家も持った。 祖母はこの祖父と再婚した。私の母は祖母の連れ子…
「初めて現代詩を読もうとする年少の読者のために」書かれた批評家的資質の確かな詩人による現代詩入門書というのが本書の位置づけではあるが、刊行年度が1952年ということもあって、内容的には文語調の近代詩から口語自由詩へ発展し定着していく過程をたどるという、21世紀の現在においては研究書としても読めるであろう、硬質の論考となっている。新体詩から出てきた島崎藤村の詩を音韻論から読み解きはじめ、次世代の薄田泣菫、蒲原有明の文語調のサンボリズムの詩のイメージを使用された語彙に沿ってこまやかに解きほぐしていく。さらに北原白秋、伊良子清白、三木露風を経て本格的な口語自由詩の時代に入っていくことが、各詩人の特徴…
2023年の展覧会を掲載した。公立の美術館は年度末まで展示予定は発表されないが、私立は少しずつ発表されているのでそれらを反映した。 東京国立近代美術館の「70周年記念展 重要文化財の秘密」は、2022年10月から12月に東京国立博物館で開かれた「国宝展」と対になるようなコンセプトで、近代美術を重要文化財という切り口でどう見せてくれるか楽しみな展示。展示替えがあり、東博の「麗子像」は4/4からの後期展示という情報(「芸術新潮」2022年12月号)もあるので、出品作品を確認して(前後期とも?)見に行きたい。 「生誕120年 棟方志功展」が富山県美術館と青森県立美術館、東京国立近代美術館で開かれる。…
随筆 八十八 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) 作者:中川 一政 講談社 Amazon 伊勢佐木町の古本屋で、中川一政の『随筆八十八』を見つけて購入。 前の持ち主の引いた線が残っている。たとえばこんな箇所。 威張ったって駄目だ。見る人が見ればみな見え透いてしまう。飾ったって駄目だ。嘘をついても駄目だ。無心にその人の力量だけの力を出していけばよい。そういう素直な心が出るだけで書は楽しいのだ。(書を書くこと) でも、僕は、同じページの次の部分に線を引く。 師匠についた人は師匠どおりの字を書いている。自分の字の影も形もなくなった程合が上達と思っている。師匠が悪い。 師匠に似れば似るほど自分から…
1946年9月、中央出版から刊行された新美南吉(1913~1943)の創作集。編集は巽聖歌。装幀は中川一政。 目次 最後の胡弓ひき 銭 雀 除隊兵 花を埋める 家 借銭 NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索
10月22日 広島泉美術館「中川一政」 泉美術館は本通りの近くだったと勘違いしていた、新井口のアルパーク近くとは、方向違いで広島駅近くまで来て予定変更し、先に泉美術館に行くことにした 中川一政の人物像はしっかりした筆致で、見ごたえがありました。 広島県立美術館「皇室の美と広島」 宮内庁三の丸尚蔵館から皇室ゆかりの名品が出品されているボンボニエールに可愛いものが多かった、 金平糖入れという実用性より、装飾性が重視されている一番のお目当ては 天子摂関御影(大臣巻)血系図の肖像画のお手本にさせて頂いてます をくり(小栗判官絵巻) 常設展の「広島県立美術館のふしぎな学校」も面白かった。 展示室を学校に…
こんにちは。 先日図書館で借り受けてから、放置している本の目次を記載しておこうと思い立ちました。 人間をみがく (中学生までに読んでおきたい哲学 7) あすなろ書房 Amazon 案内人 南伸坊「ロボとピュー太 自分てなに?」 * 古今亭志ん生(演) 宿屋の富 飯島友治編 * 内田百閒 蜻蛉玉 中川一政 へそまがり 吉田健一 贅沢/貧乏 * 須賀敦子 ほめる 白洲正子 人間の季節 串田孫一 叱る・しかる・怒る 湯川秀樹 甘さと辛さ * 河盛好蔵 イヤなやつ 大庭みな子 遠い山をみる眼つき 河合隼雄 人の心などわかるはずがない 吉野秀雄 ひとの不幸をともにかなしむ * 森 毅 わらじは二足 吉田…
1926年9月、叢文閣から刊行された中川一政(1993~1991)の詩集。1921年版の改版。 目次 春光 幼兒 家郷の弟妹に 犬の晩餐 くもり日 葉笛 三郎といふびつこの犬と僕 煙草 野の娘 遠き弟に まづしき母子 父の出發 家をまもる兄の歌 となりに住める貧しき友 所信 病める妹 見る事 わが母 自愛せよ 毛布 ある夜 ひるすぎ 守る時 貧しき母 もでる ゴオホ兄弟 友達 宣教師の話 ぼくのうち 父 守備兵 希望 みなれざる人 雲雀が岡附近 われは鳥に告げる 聖フランシスの家族 静物 岡の話 母 嫁ぎゆく彼女に與ふ 自分と世間 偉大なる人 少妹肖像斷片(原色版) 杉と茶畑の風景(寫眞版) …
それぞれの落葉掃く朝曇り日の小路小路 曇り日のここは明るき黄葉の欅広場に子ら飯を食む 岩壁の赤きロープに取りつける人影ひとつ山紅葉照る 学園の裏庭覗く日曜日消し忘れたる聖樹の明かり シドニーのマウンドに立つ松坂を熱燗酌みてわが声援す 表情のなきたたずまひ校門のあかとき浮かぶ少年の顔 解脱求めて 七首 雨降りて小暗き朝をさみしむか店に立ち入る雌鹿の群 南大門に人ら並べて撮る写真雨に濡れたる鹿が見てをり 飛鳥寺の如来の前に坐りゐて扇風機に吹かれ見上げてをりぬ 田の畦に石組古りてまろまれり蘇我入鹿の首塚といふ 来し東院堂に胸あつく聖観世音菩薩を仰ぐ 正面をひたに見つめて説きたまふ天と地を指す聖観世音…
(きくのかやかずまさのしょをかけじくに 忠男) 〔季語:菊(秋)〕 中川一政と言えば、画家だが、書も魅力的! なかなか手に入らないのが、縁あって、入手できた。それが、床の間の、掛け軸。 菊の香りと、中川一政の書の掛け軸、美味しいお茶・・・外は雨だけれど・・・
2005年5月からまぐまぐでメルマガを毎週月曜日に発行してきました。 当初は「ビジネスマン教授日記」という名前でしたが、今は「学びの軌跡」と名前と内容を変えています。学びの報告です。 本日で1345号です。17年目に入っています。配信数は、まぐまぐ(4500)と独自配信(2000)とあわせて6500ほど。 1週間の活動のまとめを配信。久しぶりに会う友人たちも、このメルマガで近況を知ってもらっているので、便利です。野田一夫先生のハガキ通信「ラポール」と同じ役割を果たしてくれています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 久恒啓一の「学びの軌跡」第1345号 久恒啓一図解Web http://ww…
あいにく大雨の中の旅となった。 真鶴町立・中川一政美術館を訪問。 中川 一政(なかがわ かずまさ、1893年(明治26年)2月14日 - 1991年(平成3年)2月5日)は、日本の洋画家、美術家、歌人、随筆家。82歳文化勲章。 中川一政は、画と書で有名である。驚いたのは、どちらも「独学」だったことだ。美術学校は出ていない。97歳で亡くなるまで、自分流で画を描き続けた。独学の人には誰もまねの出来ない独特の作品ができる。 『中川一政真鶴美術館』(1989年)という図録を買った。エッセイを読んだ。 1946年、真鶴の大河内子爵の別荘を買った。半島の突端の真鶴の自宅から下に降りていくと、福浦という港が…
人間万事塞翁が馬 「人生で幸運だったことのひとつとして亡くなった映画監督のジャン=リュック・ゴダールさんは『高等映画学院(イデック)の入試に落ちたこと』をあげていた。パリにあった著名な学校で多くの逸材を輩出している。『卒業生はあまりに専門家すぎる』。辛辣な言葉はさらに続く。『連中の映画は、生み出される以前にすでに死んでいる』(日経新聞「春秋」2022.9.15) 東京芸大出身の画家の絵には賛否両論がある。多くは素晴らしい作品だろうが、画風が定まらない画家もいる。明らかに国内外の有名画家のオマージュ(?)とわかる作品もある。盗作疑惑で問題になった画家さえいる。 ゴダール氏は、立派な教育によって得…