1990年代、東京・渋谷を中心に流行したとされるJ-Popのジャンル。
タワーレコードやWAVE、HMVのような外資系レコード会社の企業戦略も相まって、日本のポップ・ミュージック・シーンにおいて、マスメディアが主導するムーヴメントとはまた異なったムーヴメントが発生することとなる。それは海外のポスト・パンク/ネオアコやアシッド・ジャズ、フリーソウル、アシッド・ハウスといった音楽シーンの変遷と同時代的に共振する動向として現れ始めた。そのようにして時代と鋭敏に反応して音楽性や更にはジャケットのアートワークなどの斬新さを追求していったグループを、その支持層が渋谷を中心に広がっていることから生まれたのが「渋谷系」という言葉である*1。
具体的なアーティストとしてはフリッパーズ・ギター、オリジナル・ラヴ、ピチカート・ファイヴ、ラヴ・タンバリンズ、カヒミ・カリィといった面々が代表として挙げられる。小山田圭吾が主宰していたトラットリア・レーベルや瀧見憲司が主宰するクルーエル・レコードに在籍する数々のバンドも含まれていたと考えられる。
2000年代以降、あまり使われなくなった言葉だが、1990年代のポップ・ミュージック、引いてはサブカルチャー全般に及ぼした効果は(その負の部分も含めて)多大なものがあると言える。
関連:雑誌「オリーブ」、橋本徹の「サバービア」、ネオアコ/アノラックのファンジン「英国音楽」
*1:この言葉を最初に使った人物は、当時『ロッキング・オン』に在籍し、後に『SNOOZER』誌編集長となる田中宗一郎と言われている。
古代文明から世界大戦はあったーまず白村こうの戦いで朝鮮をうしなったヤマト大王国は、戦略的に中国の皇帝に匹敵する天皇制度を天智天皇天武天皇コンビで作り中臣鎌足が最大の貢献者である。藤原一族の誕生である。聖書コーラン仏典孫子老子荘子孔子等々で理論武装して、まず聖典を研究し ヤハウェアラーに匹敵する皇帝、天皇制を作り出す。日本は光あれ、をもじったものである。まともに考えると中国との全面対決を恐れてあえて皇帝を名乗らず、ヤマト大王国でいながら、朝鮮に領土を持ち大陸を狙っていた、朝鮮で中国帝国の属国朝鮮に朝鮮領土を追い出されると、このままでは ヤマト大王国が属国になってしまう。そこで中野おおえのおうじ、…