坂口安吾が戦時中に書いた「日本文化私観」から引用させていただきます。 …まっとうでなければならぬ。寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。もし、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新らたに造ればいいのである。バラックで、結構だ。 安吾は、法隆寺や平等院よりも、小菅刑務所とドライアイス工場と軍艦に本物の美しさを認めて、その根拠を述べます。 この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しく…