●防人は、当初は九州の人をあてていたが、後には主として東国の人をあてるようになった。任期は三年で毎年三分の一が交替させられていた。命令によりそれぞれの国の、防人部領使(さきもりのことりづかい)が連れてきて、難波(なにわ)で中央の役人に引き継ぐのである。大伴家持は、兵部少輔としてその中央の役人で兵務部の仕事をしていた。家持は歌人であったから、家持に渡った防人たちの歌が万葉集に残ったと考えられている。 ●歌は、「難波津を 漕ぎ出て見れば 神さぶる生駒高嶺に 雲そたなびく」である。 生駒山麓公園万葉歌碑(大田部三成) ●歌碑は、生駒市俵口町生駒山麓公園にある。 阪奈道路から信貴生駒スカイラインにはい…