「白河の関所より北の土地は、一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」という侮蔑表現。 戊辰戦争以来、新政府軍を率いる薩長土肥側が東北地方を卑下して用いた。
これにより、奥の細道にも見られる「白河の関を越える」という表現は、単に相対的な位置関係を意味するものではなくなった。
転じて、東北人の反骨精神を表すフレーズとして用いられるようにもなり、地方紙「河北新報」の名前の由来となったり、や、岩手県出身の平民宰相・原敬の雅号「一山」の由来ともなった。
前編の続き。岩手県立博物館のテーマ展示室へ向かう。 kotatusima.hatenablog.com ・「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生~古墳時代ー」の概要 今回、博物館にわざわざ来たのはテーマ展「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生~古墳時代ー」を見たいがためだった。 チラシには銅鐸や鉾、北海道島と北東北の地図の形に切り取られた稲の写真があしらわれ、背景は稲作を行う大規模集落のイラストになっている。展示を見た後だとこれらのモチーフの重要さが分かる。 この展示では、縄文時代のあと飛鳥~奈良時代に蝦夷(えみし)として岩手が日本史に「再登場」するまでの間、弥生~古墳時代の「空白期間」の歴史はど…