ハママシケ陣屋跡は浜益川右岸の丘陵地にあり、安政6年(1859)9月に北方警護の必要性から幕府は浜益から天塩までの領地を荘内藩に与え、藩はその拠点として元陣屋を建設(万延元(1860)年)しました。(防衛の拠点である本陣を元陣屋(もとじんや)というのに対して、支所的な存在を脇陣屋(わきじんや)もしくは出張陣屋(でばりじんや)といいます。)集落のある海岸線ではなく山陰の谷間に作ったのは、冬期の猛烈な暴風雪から逃れるためだと言われています。 陣屋は警護だけの目的だけではなく周辺の開拓としての拠点も兼ねており、この地域だけでも8箇所の村ができています。陣屋内には約200人余の藩士が暮らしており、その…