調べている資料のなかに、次のような記述がありました。それは青梅市内にお住まいの明治18年生まれの男性の話です。つぎはその男性からの聞き書きで、調査は昭和40年とのことです。 筏乗りは十人ぐらいが一組になり、丸子から二子を経て登戸、中野島を通って菅に出た。菅の渡船場から調布に出て品川道を通り、府中で一休みをして立川まで歩いた。 《引用文献》角田益信,2000,稲田郷土史会,『あゆたか38号』,p32 資料の中のキーワード この聞き書きにはいくつかのキーワードがあります。 一つ目・・菅の渡船場二つ目・・調布に出て品川道を通り 菅の渡船場 別のページ「矢野口の渡船場から甲州街道へ」で、地図にある「矢…