明治天皇のPR及びイメチェン戦略 明治維新の結果、天皇を中心とする体制に変化したのだが、そのためには国民の天皇に対する意識だけでなく、明治天皇の意識自体も変える必要があった。明治新政府がいかにして立憲君主制へと踏み出していったかという話。 そもそも天皇と言っても、京の人々には馴染みがあるが、それ以外の人々にとっては全く聞いたこともないような雲の上の存在であった。この時代の天皇は知名度は所詮は京都ローカルだったのである。 新政府の大久保利通らはとりあえず天皇を御所から出そうとする。まずは1868年の3月に大阪行幸を実現、さらに7月には東京行幸を計画。こうして天皇は20日をかけて東京に到着、これで…