ベルクソンのよく知られた洞察。《一杯の砂糖水をこしらえようと思うならば、私はとにもかくにも、砂糖が溶けるのを待たなければならない》「創造的進化』(ベルクソン 1966 27)。 この体験を想像変容することによって、われわれは時間の内的本質を洞察することができる。 ここで何かを「待つ」とは、単なる時間の「持続」ではなく、エロス的力動のざわめきに耐えること、ある種の不快を意味する身体のノイズに耐えること、またむしろ「エロス的予期」がもたらす欲望のノイズ(これ自体は不快を含む)に耐えることである。こうしてつぎのことが取り出される。時間体験の第一の契機は、触発がもたらす不快をそれが何らかの仕方で除去さ…