遡ること80年代 日本は半導体や自動車を大量にアメリカへ 輸出し米国経済を脅かしていました 当然アメリカは日本へ市場開放を要求 要するにもっとアメリカ製品を買いなさい と圧力をかけたわけです 電電公社・国鉄・専売公社の3公社に対し アメリカは民営化を要求しました そして1982年中曽根内閣によって 民営化が本格化します 中曽根はレーガンの要望どおり電電公社を 民営化し通信市場の開放に努めます 通信市場の開放には新規参入による コンペジターが必要となります 電電公社に対抗する新電電は莫大なコストが かかるためにみな及び腰となりました ウシオ電機の牛尾氏は中曽根に電電公社の 競争相手を探してくれと…