宝永7年10月10日。巡見衆は日の出頃にやって来て、八ケ寺の見分を行う。昨年は性高院だけに入られたが、今度は全員八ケ寺を検分する。嶋沢仁大夫・吉原甚大夫・高木十右衛門・町奉行両人・同心十人衆などが出向く。縫殿殿・靭負殿は性高院へ出向かれる。ここで巡見衆それぞれに茶菓子などが出るが、5人分しかなく、縫殿殿・靭負殿の分がなかったので声をかけたが出てこなかった。このため五人衆も手をつけられなかった。はなはだ不首尾であった。辰半(午前8時)過ぎに本町を通られた。代官横地仁兵衛に道々話されたのは、尾張領分に指図はないが、話の通りにするようにと。橘町懸所の西、巾下志水氏下屋敷の角に升形のように土居の閭門(…