主な事は万事女将が切り回していたが下宿代の事等はあまり督促がましい事を聞いた事が無かった。下宿人は全部で十二、三人は居た様だ。私は始め二階の三畳七分五厘という四畳に足りない隅の室で半年許り辛抱していた。下宿代も安かったが三畳七分五厘舎の主人と自称していたのも、この時だ。 その後、下の八畳の部屋へ移ったが初めは彫刻家の先輩で国安稲香という人と同宿していた。彼の兄さんが京都森村組出張所の会計係の小滝さんと言って父も私も、そこで知り合いであった関係から国安君の話が出て同君も私を知る様になった。科は違っていても先輩なので何となく心強く兄貴の様に思って交際していた。国安君と小滝さんは性格が全く異なり小滝…