戦国時代の肝付家というと、肝付兼続(きもつきかねつぐ)・肝付良兼(よしかね)がよく知られている。大隅国肝属郡高山(こうやま、鹿児島県肝属郡肝付町)を拠点に戦国大名化し、大隅半島の大部分を支配下に入れる。島津貴久(しまづたかひさ)・島津義久(よしひさ)と南九州の覇権を争った。 もうひとつあるのだ、肝付家は。 16世紀には肝付兼演(かねひろ)・肝付兼盛(かねもり)・肝付兼寛(かねひろ)らが活躍した。こちらは高山の肝付家を出奔した三男坊の家系である(詳細は後述)。大隅国加治木(かじき、鹿児島県姶良市加治木町)を拠点としたことから、「加治木肝付氏」「加治木肝付家」と呼ばれた。また、のちに薩摩国喜入(き…