まさに住する所なくして、その心を生ず。住するとは「こだわる、とらわれる」との意とか。視聴きしたところに素直に反応し、立ち停まらず、自然に移り行けという。お経のなかの文句で、禅語となっているらしい。 谷川徹三は若き日、救いを求めようと親鸞に思いをいたした時期があったという。だが道元については、自分は深くを語りうる者ではないがと謙遜したうえで、正法眼蔵を自由自己流に読み愉しんできた愛読者として、初学者向けの紹介文を書いている。 初出は一九六九年一月五日を皮切りに、日曜ごとの読売新聞に各回六枚ほど、四回連載された。幅広い読者向けの随筆だが、『こころと形』収録篇のうちの、ひとつの柱となっている。 初学…