まず、自己否定という概念をもたなければ、自己肯定、というコトバも存在しない。 万物の神が創ったわたしという存在はそもそも、肯定や否定をするような対象じゃあ、ない。 私が生きているのは、生かされているから。 生かされている間の、授かりもの。 私の存在は愛でできている。 自己肯定感なんて、ヘンテコで、本来ならばなくていい言葉だ。 だけど、ほとんどの人が自己否定や自己嫌悪という、これまた不必要でヘンテコな感覚を、社会というハコ(家、組織、国など)の中で体験し、意識の中に深く深く組み込んでしまった。 だから対の概念として、自己肯定という言葉が持ちあがる。 だから私は、セルフラブ(自愛)について話す。 …