父親が邦人系航空会社に勤務していたので、子供の頃から、飛行機や空港、そしてアメリカの存在が身近だった。そのような環境で育った私は、幼児の頃からパイロットに憧れる。しかし、先天的異常でパイロットの道は閉ざされる。飛行機への憧れは消えず、大学卒業後、新卒で邦人系航空会社に入社。新入社員の頃は空港勤務で楽しかったが、本社営業勤務になった途端、毎日のサラリーマン生活が退屈になって退社。 アメリカの大学で学んだり写真を勉強したりしながら、紆余曲折を経て鍼灸あん摩マッサージ指圧師になる。 60歳を過ぎてから、私の中の「空」を捨てきれず、二等無人航空機操縦者技能証明を国から得る。一等を目指しているが、自宅の…