正徳2年8月4日。近頃、犬山で天野孫大夫甥で今井新右衛門弟分の土屋只介と城代石川甚兵衛の子石川彦六が喧嘩をした。只介は彦六を切って立ち退いた。両人ともにたわけで御目見でもない輩であった。詳しくは8月末のところに記す。少し前、竜泉寺と馬嶋の明眼院と濃州の寺1か所の3寺が日門様から色衣を許される。領内においては天台、御宮別当のほかでは色衣は初めてであった。
宝永2年閏4月23日。熱田神宮寺内不動院、愛染院が色衣着用を許される。これは護持院からの免許による。この日仰せ渡される。礼は官僧(官位を授けられた僧侶)の次、平僧の上へ。 以前から佐分伊左衛門出雲守様用人は不埒な行いが数々ある。高屋善之丞稲姫様用達は昨年の切米を売り、その金を使ってしまい江戸へは遣わさず。今度のことに限らず、金子に関する不埒が多いと。谷水也が何とかうまく収めようと取り持つがうまくいかず。