車谷長吉『鹽壺の匙』には驚いた。じつは刊行時がこの作家の登場ではなく、いく年も前から、納得ゆくものだけをポツリポツリと雑誌発表してきた寡作作家で、ようやく一冊分が溜って刊行されたから、私のようなものの眼にも入ったのだった。内面の格闘を凝視した、コテコテの私小説である。 頑固な人、志の高い人、という印象だった。さも誠実そうに自我を描くには、自己対象化のユーモア精神がぜひとも不可欠だから、この人もあんがい面白い人かもしれないなんぞと想像した。拝眉の機会は、とうとうなかったけれども。 私にも思い当る点がいくつかある文学だった。が、私にはとうていそこまで徹底してこだわりれきぬ世界だった。執念の差という…