唐土に飢餓は稀有でない。 ぜんぜんまったくこれっぽっちも珍しからぬ現象だ。 定期的に発生(おこ)っては山の様な餓死体と流民の群れを作り出し、王朝の足下をグラつかせ、野心家に垂涎の機会を恵む。恒例行事の一環と看做すも可ではあるのだが、しかし1920年に生起した、「華北大飢饉」の名で知られるそれ(・・)は、「いつもの」と軽く流すを許さない――規模の面にて、あまりに常軌を逸脱しきったモノだった。 なんといっても、罹災民は三千万だ。 (支那の田舎の市場の様子) どうせいつもの誇大広告、実数はだいぶ落ちるだろうが、たとえ十分の一だとしても三百万人、相当以上の数である。 どこからどう手を付ければ良いのか、…