伊藤博文が師と呼ぶ相手は四人いる。 一人は三隅勘三郎。伊藤の郷里、束荷村の寺子屋師範。八つのときに彼に就き、伊呂波の如き初歩の初歩を教わった。 二人目が久保五郎左衛門。萩の城下で家塾を営んでいた人であり、この久保塾で藤公は、読書や詩文、習字といった「手習い」ならぬ「学問」をした。入門時、およそ十二歳。『藤公余影』に当時の景色を徴すると、 …久保塾は当時七八十の門生あり、奨励の為之を東西両組に分ち、各組共に主席より五人迄は、相撲なれば所謂幕の内とも称すべき処にて、師より特に號を与へられたり、予は伊文成と称せられ、何人にも後れを取らざりしが、独り吉田稔丸と称する者には一籌を輸したり。彼は実に天稟の…