1 尊王攘夷党「虎尾の会」の結成 出羽庄内清川村(山形県庄内町)の郷士清河八郎が、尊王攘夷の実践活動を決意したのは、万延元年(1860)3月の桜田門外の変であったという。その年の冬、大津彦五郎ら水戸天狗党激派の一部が霞ヶ浦北岸の玉造(茨城県行方市)に屯集し、横浜の夷狄を打払うなどの噂がもっぱらであった。これを知った清河は、翌年の正月、下総にその様子を探ったが、その実態に失望し、独自での攘夷断行を決意したのである。 清河八郎は、下総から戻った直後の2月11日、郷里の叔父に宛てた手紙で、「どうしても近き中に争動始り可申、其時は天晴の働き致可申と楽罷在候。それに付ても、只今のうちに私共に存分力を助け…