11世紀、契丹(遼)がモンゴル高原に設置した城郭都市。チントルゴイ城址に比定されている。契丹のモンゴル支配の拠点として、また甘粛やトルキスタン方面を結ぶ交通路を確保する役割もあったとされる。もとはウイグルの城郭であった可能性もあるという。 契丹によるモンゴル高原支配の拠点 チントルゴイ城址の構造 都市での生産活動 西遼の西方進出 長春真人が見た古城 参考文献 契丹によるモンゴル高原支配の拠点 1004年(寛弘元年)、契丹は鎮州建安軍を設置し、節度州である鎮州と刺史州である防州・維州の辺防三州を築き、モンゴル高原の本格的な経営を図った。『遼史』は鎮州城を「本可敦城」としており、「可敦(ハトゥン)…