二上山に皇子は眠るや花馬酔木 (山辺の道の崇神天皇陵から見た二上山) 謀反の罪で誅殺された大津皇子は当時24歳。天武が逝去した二十日余り後のことで、逮捕して翌日に処刑された。歴史家は、これはのちの持統天皇が自分の息子、草壁皇子の皇位安泰を図るための陰謀だったという。大津は草壁の従弟にあたる。多才で大柄でカッコイイ男だったようだ。 磯の上に生える馬酔木を手折らめど見すべき君がありといはなくに (巻二 166) うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む (巻二165) 詠ったのは、大木皇女で大津皇子の姉である。彼女は斎宮として伊勢にいたのだが、この事件のあと都に還った。こ…