宝永5年10月6日。志水八大夫と牛込茂右衛門弟2人の3人が豊場近所の能田村へかへどり(替取、川などせき止めて魚を獲ること)に出かけた。細野仙右衛門・小笠原源太左衛門・佐枝新兵衛3人の知行であったので3人に断りを入れ、その上新兵衛の手紙をもらってもしものために持って行った。また案内のため寺尾兵治から召仕を連れて行ったと云々。池をせき止めていると源太左衛門の庄屋七左衛門が現れ、いきりにこれを止めさせようとした。件の手紙を見せたけれど納得せず、手紙があっても沈んだ田地の年貢を出さないわけにはいかないだろうといろいろなことがあった。3人が村へ食事に入ると、七左衛門はますますこれを止めたのでおおごととな…