この忙しい日々を乗り越えて集まることは、火の中から耳を傾けるようなものだと言われます。 本当に火の中ではないので耳を傾けることができますし、本当に大千世界中が火で満ちているわけではありません。 この比喩された「火」とは、私たちの心の中の忙しさや煩悩を指しています。この煩悩の火は、どこへ行っても消えることがないのです。 例えば、私の門下生の蓮華庵貞信尼が、真剣に念仏を唱えようとして、京都高台寺の山奥に三年間籠もりましたが、安心が得られず、その心の動揺を歌で表現して山から降りてきた話があります。 確かに山は静かでも、心は常に騒がしい。その騒がしい心を持ち歩く限り、どこへ行っても静寂が得られるわけが…