→赤松則村
ついに当ブログも県境を越えて、岡山県に入ることとなった。 この勢いで、いずれ全国制覇を成し遂げたいが、距離が伸びればそれだけガソリン代や高速道路代や宿泊代がかかるので、自宅から離れれば離れるほど、史跡巡りの勢いは衰えてくる。全国制覇の前に私の命かお金が尽きるだろう。 岡山県の歴史散歩 「岡山県の歴史散歩」を手にすると、ずっしりとした量感を感じる。行きごたえがある。 今日は、国道2号線を西に行き、兵庫県と岡山県の県境にある船坂峠を越えてすぐの三石(みついし)という町の史跡を紹介する。 船坂峠の道は、山を掘削してできた道である。かつての峠道は、今の2号線よりも高いところにあった。 今でも2号線北側…
オンライン日本史講座最初期のリバイバルです。 最初期の分のオンライン日本史講座は一部ユーチューブにアップされていない、ということで、リバイバルをしますが、中でも第三回の嘉吉の乱については赤松満祐を悪者にしたことについて兵庫県関係者には不評だったようです。そこで今回は赤松氏からみた嘉吉の乱を見ておきたいと思います。 赤松氏と足利氏の関係は意外と新しく、建武の新政以降になります。もともとは大塔宮護良親王に近かったようです。もともとは赤松円心の三男の妙善が比叡山で律師となっていて、天台座主の尊雲法親王に近侍していたのが縁の始まりです。元弘の変で尊雲、還俗して護良親王に従い転戦します。『太平記』には芋…
置塩城跡から西に進み、峠を越えると、姫路市夢前町寺という地域に出る。 ここにあるのが、通宝山弥勒寺である。天台宗の寺院である。 弥勒寺の石橋 書写山圓教寺を開いた性空上人が、長保二年(1000年)にこの地に隠棲し、草庵を作った。 長保四年(1002年)、性空上人を慕う花山法皇が行幸し、播磨大掾巨智延昌に命じて諸堂を建立させた。これが、弥勒寺の開山である。 山門 弥勒寺は、それほど大きな寺ではない。しかし、小さいながらも私にとっては忘れがたい寺であった。 国指定重要文化財である本堂は、康暦二年(1380年)に赤松義則が再建したものである。 弥勒寺本堂 赤松義則は、室町幕府の四職の1人として、幕政…
姫路市夢前町宮置に、後期赤松氏の居城だった置塩(おじお)城の跡がある。 置塩城は、建築当時、日本国内の山城としては最大規模で、もし石垣が現存していたら、但馬竹田城を上回る壮麗な山城の遺構を見せてくれたであろう。 置塩山 ここで赤松氏の歴史をおさらいする。元弘の乱(1333年)で活躍し、鎌倉幕府滅亡と室町幕府成立に献身した赤松円心から、範資、則祐、義則、満祐までを前期赤松氏という。 前期赤松氏は、主に兵庫県赤穂郡上郡町の白旗城や、兵庫県たつの市の城山(きのやま)城を本拠地とした。 満祐の代に室町幕府6代将軍だった足利義教は、有力な守護大名の力を削ぐために、惣家よりも庶流を重用する政策を取った。本…
上三河農村舞台から更に北上し、佐用町船越に入ると、瑠璃寺の山門が見えてくる。 船越山の中腹にある真言宗の寺院・瑠璃寺の山門である。 瑠璃寺山門 山門は寛永十五年(1638年)の造営である。しかし、所々痛みがあって、長年月の風雪に耐えてきたことを物語っている。 この山門から、寺院の中心地までは、約800メートルある。 途中に何故か昆虫館があったが、平日だったので休館していた。 昆虫館 瑠璃寺は、神亀五年(728年)に、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開山したと伝えられる。 近世までは、南光坊とも称し、修験本山派の寺院として栄えた。修験道の寺院だったころは、付近に山伏や修験者が多く居住していた。 …
世界文化遺産・国宝姫路城。 天下の名城は、今や人類全体の財産となっている。日本人ばかりでなく、外国人観光客も多数観光に訪れている。 姫路城は、姫山と鷺山と呼ばれる二連の丘の上に建てられている。姫山は、今天守閣が建っているところであり、鷺山は、西の丸が建っている場所である。 最初に姫山に城を築いたのは、赤松円心である。元弘三年(1333年)、鎌倉幕府打倒のため挙兵した円心は、姫山に砦を築いた。 イーグレ姫路から展望した姫路城 その後、赤松氏の支族である小寺氏の城となったが、戦国時代には小寺氏の家臣であった黒田氏が城主となる。 秀吉が播磨を平定した際に、黒田官兵衛が秀吉に姫路城を対毛利戦の拠点にす…
赤松円心が築城し、その後赤松氏の本拠地となった白旗城跡は、宝林寺から車で少し走ったところにある。兵庫県赤穂郡上郡町にある赤松という集落に登山口がある。 ここは、赤松氏ゆかりの相生市の感状山城、姫路市夢前町の置塩城と共に、国指定史跡となっている。 白旗山遠望 城跡は標高は440メートルの白旗山の山上にある。蒸し暑い日だったが、頑張って登ってみた。 登り口 登り口には、山中の野生動物が外に出てこないように、ゲートが設置してある。不落の城であったことから、「落ちない城」として、受験生にアピールしているようだ。 登り始めると、最初は平坦な道だが、途中から岩石がごろごろしだして、石の上を歩くようになる。…
鎌倉時代末期から戦国時代にかけて、播磨の国はおろか、日本国を騒がせた武家・赤松氏。 兵庫県赤穂郡上郡町河野原にある宝林寺は、赤松氏ゆかりの寺である。赤松則祐(そくゆう)が、備前国新田庄にて、雪村友梅に開山させて、臨済宗の寺院として創建した。 火災で焼失した後、文和四年(1355年)に河野原に移し、赤松惣領家の氏寺とした。宝林寺は、赤松家と盛衰を共にし、今は真言宗の寺となっている。 宝林寺にある円心館には、赤松円心(赤松則村)の木像等の赤松氏ゆかりの品を展示している。 円心館には、電話で見学を予約してから行かなければならない。自宅を出る直前に電話したが、幸い対応してもらえることになった。 宝林寺…
兵庫県たつの市新宮町から佐用郡佐用町に抜ける国道179号線を進むと、播磨科学公園都市の案内標識が出てくる。播磨科学公園都市は、兵庫県の相生市、たつの市新宮町、赤穂郡上郡町、佐用郡佐用町にまたがる山地を切り開いて開発された学術研究都市である。 ここにある著名な施設として、理化学研究所が運用する、大型放射光施設Spring-8がある。 大型放射光施設Spring-8 電子を光の速さまで加速させ、磁石を使って進路を曲げると、放射光を発するそうだが、その放射光を観察して、原子・分子レベルの物質の組成を調べるための施設らしい。和歌山毒物カレー事件の毒物の鑑定にも使用された。 ここは当たり前ながら史跡では…