仏教とヒンズー教の間には一つ大きな溝があるようです。私が理解している範囲では、それは無か有かということに関してです。仏教の空が無を意味しているのか知りませんが、仏教では最終的に無に行き着き、ヒンズー教においては存在=サット=アートマンがあるとします。この見解の違いが時に問題になっているように見受けられるのですが、私は私なりにこれに対する意見をもっています。私が日本語で書かれた仏教の本を読む限り、お釈迦様は無を主張されているのではなく、究極の存在に対してそれをはかる基準がないと主張されているように見受けられます。基準がないので有無を断言できないということで、一つの超越論です。サイババの著書などを…