中国・唐代の禅僧。言葉によって弟子を悟らせる名人だった。 弟子:私は愚かでなにも解りません。どうしたらいいのでしょう? 趙州:お前、飯は食ったか? 弟子:はい。 趙州:それなら皿を洗っておきなさい。 (弟子が悟る)
「禅 現代を生きるもの」(紀野一義:NHKブック)より
司馬遷、老子、范蠡・・・中国の特に優れた人々列伝 私は、これまで、「夏」の頃から「唐」の時代くらいまでの、中国の歴史、有名人について学んできましたが、あえて、膨大な人達の中から、5人を選び、ランキング付けしてみました。活動したジャンルは様々なので、正確には比較できませんが、私の心にどれだけ響いたか、という主観的な見方で順位付けます。ランク付けしようとしておいて、なんですが、優劣差をつけるのではありません。便宜的です。弟に、「私は誰がもっとも好きだと思うだろうか」、と訊いたら「(3)なんじゃない」、と返ってきました。各人物の概説は、広辞苑第六版から。では、5位から上に向かって、 ↑スキャナーが壊…
曹洞宗で一人前の僧侶になるには法戦式に臨まなければならないと記しましたが、そこでは首座とほかの修行僧との間で激しい禅問答が繰り広げられます。 少し(かなり)古い映画となりますが、若者の禅寺での修行生活をコミカルに描いた「ファンシィダンス」(1989年)では、この法戦式の場面がクライマックスとなっています。 ところで、臨済宗が、師から示された公案を説いて(禅問答をして)悟りに至る看話禅(かんなぜん)なのに対し、曹洞宗は、ただ黙々と座るも黙照禅(もくしょうぜん)といわれます。 その曹洞宗の儀式で禅問答が行われるのは意外な感じがしますが、実は道元は(一般にはそれほど知られていませんが)中国の禅籍から…
【私訳 仏性】 その9 “四祖いはく、汝無仏性。いはゆる道取は、汝はたれにあらず、汝に一任すれども、無仏性なりと開演するなり。しるべし、学すべし、いまはいかなる時節にして無仏性なるぞ。仏頭にして無仏性なるか、仏向上にして無仏性なるか。七通を逼塞することなかれ、八達を摸索することなかれ。無仏性は一時の三昧なりと修習することもあり。仏性成仏のとき無仏性なるか、仏性発心のとき無仏性なるかと問取すべし、道取すべし。露柱をしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし、仏性をしても問取せしむべし。しかあればすなはち、無仏性の道、はるかに四祖の祖室よりきこゆるものなり。黄梅に見聞し、趙州に流通し、大潙に挙揚す。…
【私訳 仏性】その2 “世尊道の一切衆生悉有仏性は、その宗旨いかん。是什麼物恁麼来の道、転法輪なり。あるひは衆生といひ、有情といひ、群生といひ、群類といふは、衆生なり、群有なり。すなはち悉有は仏性なり、悉有の一悉を衆生といふ。正當恁麼時は、衆生の内外すなはち仏性の悉有なり。単伝する皮肉骨髄のみにあらず、汝得吾皮肉骨髄なるがゆゑに。しるべし、いま仏性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は仏語なり、仏舌なり。仏祖眼睛なり、衲僧鼻孔なり。悉有の言、さらに始有にあらず、本有にあらず、妙有等にあらず、いはんや縁有、妄有ならんや。心境、性相等にかかはれず。しかあればすなはち、衆生悉有の依正、しかしな…
横田南嶺師匠の「無関門に学ぶ」を読んでいる.まず,無とは何かということで趙州和尚の無の話,犬に仏性はあるか,というところから始まる.無とは何かということである.師匠の円覚寺に通い出しておおむね10年経過しているが,臨済録,スッタニパ-タやダンマパダ,道元の正法眼(これは挫折した)どちらかというと分かりやすい解説本であるとか,あと盤珪禅師の本,鈴木大拙先生の禅の思想など読んでいた.もちろん,師匠より早い段階から無関門,碧巌録などのお話は聞いていたし,盤珪禅師や黄檗師匠の語録の提唱などを拝聴していた.そしてようやく最近無関門,碧巌録に取り組んでみたのだが・・・これが難解で正直,なにがなんだがよく分…
「正法眼蔵道得」の参究 2024年12月12日改訂 唐子正定 義雲頌著 蝦䗫啼蚯蚓鳴(ガマもミミズも啼鳴<ないていること>の事実そのものが道得<真実の説法>だ。) 「言前に荐得するも奇特に非ず。」(言葉以前に成り立っている原事実は単なる神秘的な奇跡ではない。それがあまりにありふれているので、我々には気付かないだけだ) 「正与麼の時宗説通ず」(まさにいまここに於いて宗説通ず、大いなる説法が働いているのだ。大用現前の事実だ。) 「四十余年不説の説」 (釈迦の四十九年の説法も、肝心の真実は一字も説いていない、それこそ不説の説法だったのだ) 「胡僧語り尽す古今風」 (ダルマの兀坐の説法はいまここに尽時…
山口市で集合 紅葉を愛でに出発 友達の車で行くので僕は暢気な助手席🚐 ナビ起動 どこに向かっていくのです?? 向かっていく道沿いの木々もまだ緑が多めで、時々な銀杏の黄色や紅葉してるものも見ながらで、約1時間半くらいのドライブd( ̄  ̄) 山口県 長門市「 大寧護国禅寺」 僕は来たことがない場所でどこをどう通って着いたのかも・・・ナビがないと迷子です(・_・; 姿見の池 天分20年(1551年)31代当主・大内義隆は、重臣 陶 隆房( のち晴賢)の反乱によって山口を追われ、9月1日義隆はこの境内に入る前に、乱れた髪を整えようと参道わきの岩にかぶとを掛け、そばの池に顔を映そうとしました。 しかし水…