笑わない妃を笑わせるために偽りの狼煙を挙げて諸将を呼び、その結果として誰もそれを信用しなくなって異民族の侵入で滅亡した…殷に続く西周の滅亡は、そのような『史記』におけるエピソードとして語り継がれている。 これに対し、2008年に発見された戦国楚の竹簡群に含まれる「繋年」では、全く違う記述がなされている。端的に言えば、有力諸侯が異なる王を立て国内が後継者争いで分裂し、それが後の遷都(いわゆる東周の始まり)に繋がったという内容である。 ここで、直ちに「繋年」が正しい内容で、『史記』は言わば精度の低い二次創作のようなものだ、とまで言うつもりはない。さりながら、300年ほどの開きがある両者をもって、王…