塘路湖にある駅逓所、釧路集治監、標茶町博物館を見学してきたので、備忘録として所感などを記しておくこととする。 駅逓所 塘路駅逓所近世において蝦夷地に和人が進出したが、それは沿岸部に限ってのことであった。近代に入り、和人たちは内陸部に入植していったが、交通は不便であった。それ故、北海道において交通インフラの一種として設置されたのが駅逓所であり、一定の距離ごとに馬と人夫を用意しリレー方式で継立していった。駅逓所は地域の有力者に委託される場合が多く、宿泊施設を兼ねると共に地域のコミュニティとしての役割も果たした。現在の塘路駅逓所は移築されたものであり、本来は水運に便利な塘路湖のほとりにあり、漁業を指…
浦幌町立博物館、音別町郷土資料展示室、白糠町郷土資料室&白糠炭田石炭資料室に行ってきた。 ついでに浦幌~庶路までの各駅を見学した。 そもそもの目的は浦幌町立博物館の企画展「十勝の鉄道120年」の見学であったが沿線施設にも寄った。 音別町郷土資料展示室は学芸員もおらずほぼ利用者もいないのに施設の規模・設備的には立派だった。 白糠町郷土資料室は社会福祉センターの教室の一角が展示室になっており少量の民具が置かれている。 白糠炭田石炭資料室は西庶路コミセンの2階にあり比較的広いが壁面年表がメインというような感じ。 【目次】 浦幌町立博物館企画展「十勝の鉄道120年」 音別町郷土資料展示室 白糠町郷土資…
中の人の専門は教育学(教科教育)と歴史学(近現代史)であり、普段は教育や歴史に関する業務に従事したりなんだりしている(メディア文藝と観光学も少しやる)。近年は社会教育や博学連携を担うことが多いので、末端自治体における郷土資料館の整備と活用の研究を少しずつ進めていかねばと、思ってはいる。グローバルヒストリーではないけれど、自分たちが住む地域の歴史が日本史の中でどのように位置づけられるか、世界史の大きな流れによりどのように規定されているかを考え(させ)ることは、子どもたちや地域住民にとって意義のあることである。末端自治体には地域の郷土資料館があるが、その施設こそが町や村がどのように形成されて来たか…