海を渡った77人の日本人 鎖国体制をとっていた江戸幕府だが、ペリー来航などの一連の騒動の中で開国を決断する。そして1860年に77人の使節団をアメリカに送ることになる。これは日米修好通商条約の批准書を交換するためのものだったという。正使には外国奉行の新見正興を、副使に村垣範正を目付の小栗忠順が務める。今回はその使節団の道中について、使節団に参加した仙台藩の玉蟲左大夫が残した日記に基づいて紹介する。 使節一行が乗り込んだのはアメリカが派遣した軍鑑、ポーハタン号である。船にはアメリカ人312人が乗り込み、そこに77人の使節団が加わるのだからかなり狭かったという。玉蟲の部屋は4畳半ほどを3つに区切っ…