宝永7年閏8月29日。申刻(午後3時)、納屋で火事がある。少しのぼやなのに、後で皆が大騒ぎする。今年、籏多門から干飯を運び入れた多門まで修復する。作事奉行は鈴木弥右衛門が務める。この間の石垣の足代(足場)は長さ400間(1間は1,8メートル)であった。1間1両の予定で縄・竹・手間を含めて円六が請け負った。霊屋塀下の石垣ならびに敷石・礎石など合わせて438、9両であった。石燈篭は家中から28基出され、1基につき3両ほどであった。西鉄門の両脇、南北の多門は昨年平田半右衛門が建て直していた。太鼓櫓、その東の櫓とも去年今井甚左衛門が修造していた。近頃、清須すか口(須ヶ口)の者が木綿4、5反と持ち歩いて…