朝鮮の徳興里古墳について。前回は冬寿や佟利を紹介、西暦357年頃の高句麗に起きていたことを示した。今回は徳興里古墳の墓誌から仏教が高句麗に伝わっている。東アジアの歴史研究において極めて重要な手がかりとされる。次の流れで紹介していく。 ・徳興里古墳(とくこうりこふん)・徳興里古墳墨書墓誌の内容・鎮・参考:倭の5王の遣使・徳興里古墳の壁画・参考:足は白い、手は白い ■徳興里古墳(とくこうりこふん)所在は朝鮮民主主義人民共和国、南浦特別市江西区域徳興里。南浦市徳興里は平攘の西郊にあるという。 徳興里古墳は壁画古墳。築造は永楽18年。永楽は好太王(在位:391年~412年)が用いた年号とされる。永楽1…