宝永4年8月1日。夕飯後、文左衛門は瀬左・武左と金谷坊へ網を打ちに出かける。矢田のはずれから金谷坊までの間では雨が降って止み、その後晴れる。魚を捕って汁を煮て、酒などを頂戴する。文左衛門は川筋で茘芝(?)1つを得る。子ども2人が茘芝を1つずつ持ってきたので、銭を与えてあわせて3つを得る。夕暮れに帰る。
宝永3年9月17日。明け方、家を出て漁に出かける。霜がおりて地面は真っ白。地蔵池で網を打ち、未(午後1時)前に帰り、彦兵殿と甚右へ祝義に出かける。帰ってから今度は金谷坊へ出かける。酉半(午後5時)帰る。鮠を多く捕る。
宝永3年9月6日、昼半(午後0時)頃から大曽根より金谷坊へ文左衛門は網打ちに出かける。日が暮れて帰る。
宝永3年9月2日。未(午後1時)から文左衛門は金谷坊に漁に行く。この日、川村で相撲が行われると人が多く集まる。申(午後3時)から始まると。