宝永3年9月3日。不意に老中、国奉行が御屋形へ出かけ、休所へ向かわれ、内密に面々支宅(度)(物事の準備)がある。夕暮れ過ぎて退出する。6日も同様。大井での公事のことかと。未1刻(午後1時過ぎ)、萱葉池の塩硝場で合せ直し(配合)した塩硝を16のから臼(木の臼)で搗いていたところ、1つの臼から火が出て他の臼に火が移り、塩硝が爆発する。小屋は焼け、焼け残った分とから臼などがひどく爆発する。鉄砲奉行鈴木勘太夫が小屋の入口にやって来て、もうおさまったかと言っているとまた火が出る。臼の他にも桶に入った薬があったので、これに火が移り、太夫は外に芝生に跳ね飛ばされ、仰向けに倒れる。何とか駕籠で帰宅する。両足に…