錦織圭は、日本の男子プロテニスプレイヤー。現在は、アメリカ・フロリダ州在住。日清食品所属。コーチはダンテ・ボティーニとマイケル・チャン。
1989年12月29日生まれ、島根県松江市出身。
身長177cm、体重70kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。得意サーフェイスはグラスコート。
開星中学校、青森山田高校通信制課程卒業。
2007年、プロに転向。
ジュニア時代はIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミー*1に所属していた。
多様な分野のスポーツ選手を抱えるプロアスリートを専門とするスポーツ選手の総合養成学校、IMGアカデミーズ(IMG Academies, IMGA)を構成するアカデミーの1つでもある。略称はNBTA。))所属。2010年6月21日に発表された世界ランキングでは204位から189位に上昇。日本勢最上位の添田豪(空旅ドットコム)は三つ上げて124位だった。
ATP*2ランキング自己最高位はシングルス56位、ダブルス537位。これまでにATPツアーでシングルス1勝を挙げている。
2006年全仏オープンにエミリアノ・マサとペアでジュニア男子ダブルスで日本男子史上初の4大大会ジュニア優勝。シングルスでも全豪オープンに続いてベスト8。2008年デルレービーチ国際選手権で優勝。2008年にはプロ卓球選手福原愛との熱愛がキス写真付きが報じられ、2009年には、右ひじの疲労骨折が判明し、内視鏡手術を受けた。復活を遂げた2010年6月22日、世界ランク1位のラファエル・ナダル(スペイン)とウィンブルドンにて対戦。
(錦織圭オフィシャルサイトより引用)
【幼少期】
- 5歳でテニスを始め、チームグリーンテニスクラブにて本格的にテニスを始める。
- 2001年(小学6年)5月、全国選抜ジュニア選手権で優勝。
- 6月に「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」2期生としてキャンプに初参加。
- その年の7月全国小学生大会で優勝。
- 8月の全日本ジュニア12歳以下で優勝し、史上5人目である全国制覇3冠を達成。
- 11月に行われた名コーチであるボブ・ブレット氏を招いてのトップジュニアキャンプでは、練習試合ではあるが、1期生である高校1年の男子選手に勝利。
- 松岡修造がジュニアの指導を始めてから、初めて選手に対して「天才」と言わせ、周りを驚かせたエピソードがある。
【アメリカでのジュニア時代】
- 2003年(中学2年)に財団法人盛田正明テニス・ファンドの強化選手として選ばれ、アメリカフロリダ州にあるニック・ボラテリーテニスアカデミーに留学。
- 米沢徹コーチ(盛田正明テニスファンド・コーチ兼監督)との綿密なコミュニケーションのもと、ハードな練習、トレーニングを行いながら多数の海外ジュニアトーナメントに出場。
- 2003年7月、ヤングスターサーキットに出場し、1週目のフランス大会でコンソレーションで優勝、2週目オランダ大会でシングルス準優勝、ダブルス優勝。
- 3週目のフランス大会ではシングルス、ダブルスともに優勝。
- 第5戦のベルギー大会ではシングルス優勝、ダブルス準優勝と輝かしい成績をおさめた。
- 8月にチェコで行われた14歳以下世界ジュニア大会で日本代表メンバーとして出場し、日本チームは過去最高の準優勝を果たし大きく貢献した。
- 12月、グランドスラム大会に並ぶグレードAのジュニア大会であるジュニアオレンジボール選手権で、準優勝(14歳以下)
- 同時期に行われたプリンスカップ(18歳以下)では、ダブルスで優勝。
- 2004年4月に行われたジュニアデビスカップアジア・オセアニア予選の日本代表選手として選抜され、日本3位で予選通過に大きく貢献。
- 10月にバルセロナで行われた世界大会へ出場。
- 2005年8月、USオープンジュニアでベスト16、10月に行われた大阪市長杯スーパージュニアではベスト4入りを果たす。
- 2006年1月、オーストラリアオープンジュニアでベスト8
- 6月に行われた全仏オープンジュニアでは、初戦でオーストラリアオープンジュニア優勝のアレクサンダー・シドレンコ選手を破りベスト8進出
- 同大会ダブルスでは日本史上初となる優勝を成し遂げた。
- 2007年3月、Luxilon Cup優勝、4月のU.S.A F8のシングルスで準優勝、ダブルスで優勝。
- 7月のインディアナポリス選手権では予選を勝ち上がり本戦に出場。日本人男子最年少でツアー8強入りを果たす。
【プロ転向】
- 10月のAIGオープンでプロ転向を発表。当時17歳と9ヶ月であった。会場になった有明コロシアムには錦織を一目見ようと大観衆が集まり、テレビまた新聞各紙の紙面を賑わせた。
- 2008年2月、デルレイビーチ国際選手権で予選から勝ち上がると、当時世界ランキング12位のジェームズ・ブレークを破りツアー初優勝を達成。
- 同年8月に行われた全米オープンテニスでは、日本人男子シングルスとして、71年ぶりにベスト16進出という快挙を成し遂げた。
- 2009年の全豪オープンは一回戦で第31シードユルゲン・メルツァーに敗退したが、大会後に発表された2月2日付のランキングでは自己最高となる56位を記録した。
- 2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞(Newcomer of the Year)を受賞。なおこの賞はATPツアーに参加している全選手の投票による。
- 2009年5月、右ひじの疲労骨折が判明し、6月開幕のウィンブルドン選手権、8月開幕の全米オープンと連続して欠場した。
- 2009年8月、右肘を内視鏡手術。
- 2011年、世界ランキングで30位にアップし、日本人最高ランクの記録(松岡修造の48位)を塗り替えた。
- 2012年1月、全豪オープンテニス2012で8強入り。世界ランキングが20位に上昇。
- 2014年10月6日付の世界ランキングにおいて、過去最高となる6位に上がった。
2008年11月に卓球選手で1歳年上の福原愛との原宿での抱擁や駅構内でのキス写真が週刊誌フライデーに載ったことで熱愛が発覚し、大きな話題となった。(福原は青森山田高校の先輩にもなる。)卓球代表選手の水谷隼のはからいもあり、北京五輪の頃から付き合っていたという。本人は騒動の帰国後、無表情で「お騒がせしてすみません」と述べるにとどまり、否定はしなかった。
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今年3月にはジョコビッチの世界ランキング1位通算在位男女含めて歴代1位や、 ナダルの世界ランキングトップ10連続在位歴代1位の記録更新ストップと、 スポーツ史に残るともいえる大記録の話題が続きました。 378 🙌🙏💪🐺🎾🏔🦅❤️🇷🇸 Blessed and Grateful 🙏 pic.twitter.com/AK5UIfvv7g — Novak Djokovic (@DjokerNole) 2023年2月27日 ”記録とはいつか抜かれるもの” これはよく聞きますし、大方同感です。 それでも中には”抜かれることが想像し難い”というのもあるわけで、 記録のもつ意味?希少性?は当然まちまちです。 …
日本男子のツアー優勝というのは1992年ソウル大会の松岡修造が初めて。 それ以降、ツアー優勝を遂げたのは現時点では4人。 この4人全員が同じ時代を戦い、そしてまだ現役で活躍しています。 では「日本勢ツアー優勝」です。 1.松岡修造 2.錦織圭 3.杉田祐一 4.ダニエル太郎 5.西岡良仁 2008年錦織圭/デルレイビーチATP250 2007年10月に日本男子史上最年少でプロ転向。 2008年2月デルレイビーチ、自力で出場するツアーレベル自体初めてとなる大会で 当時12位(最高4位)のブレークに勝ち優勝。ATPツアー優勝の史上2番目の年少記録。 その他、元5位全仏優勝もあるガウディオ、元9位ア…