推古天皇崩御時に粛清された泊瀬王及び義兄弟の高向王には3人の遺児、葛城王、多智奴女王、漢皇子がいた。宝皇女とともに3人は生き残ったのか? 628年推古天皇崩御時にあったこと 推古天皇崩御時の政変についてまとめると以下の通りとなる。 推古天皇崩御を契機に、①蘇我馬子の兄弟の境部摩理勢、②聖徳太子第二皇子の泊瀬王、そしておそらくは、③泊瀬王の義兄弟の高向王の3人が排除された。皇嗣筆頭格であった茅渟王も推古天皇崩御までに排除されたと見られる。 結果、①蘇我蝦夷が蘇我本宗家の地位、大臣家の家督を獲得、②聖徳太子第一皇子の山背大兄王は上宮王家筆頭の地位を獲得、③田村皇子が高向王妃宝皇女を娶って舒明天皇と…