第41代(686 - 697)
天智天皇の第二皇女。
大海人皇子の妃。大海人が壬申の乱の後即位して天武天皇となると共に皇后に立った。病弱な天皇を補佐して律令国家建設に尽力。
天武没後、子の草壁皇子の即位を願って、即位の式なしに実権を掌握(称制)する一方、ライバルの大津皇子を謀反の罪で自殺に追い込んだ。
689年草壁の没後に即位。
在位中の業績は飛鳥浄御原令の施行、庚寅年籍の作成、藤原宮の造営など。
伊勢神宮を始めたのも彼女である。また、明治天皇以前に在位中に伊勢神宮に行幸した唯一の天皇でもある。
草壁皇子の遺児である軽皇子が15歳となると文武天皇(軽皇子)に譲位、自らは史上初の太上天皇となる。
藤原不比等を用いて701年「大宝律令」を完成させ、翌年末崩御。天皇としては初めて火葬された。